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2009年02月1日
 タヒチ

経歴

長野県松本市出身
幸せを招く花と、独自の色彩感覚を折りなす女性像を描く
静岡県沼津市在住


新日本美術院 副会長 常任理事
IAC美術会 常任理事

日本美術家連盟会員
サロン・ド・ロートレック会員
アルバ・ガッタ・ローマ芸術家協会名誉会員

国際ロータリークラブ第2620地区 沼津西ロータリークラブ 会員

趣味

 ゴルフ、テニス、園芸、熱帯魚、アクアリウム、サンゴ、ティーカッププードル


受賞歴
新日本美術院大賞
文部科学大臣賞、衆議院議長賞、東京都知事賞、
東京都議会議長賞、特選
イタリア・モンテフェルトロ公国芸術祭 ラファエロ大賞
フランスロートレック芸術大賞、トゥールーズ芸術大賞
東大寺無限展鳳凰賞、エイズチャリティー美術展理事長賞
日豪芸術交流祭芸術大賞、日英芸術大賞
韓国HMA展New World Art大賞

母と娘の油彩展16回、銀座展、沼津ギャラリーほさか展、
松本井上デパートタヒチ企画展

個展  阪急百貨展、静岡伊勢丹展、東京幕張アートフェステバル、 

ロシアエルミタージュ美術館収蔵 「溢れる花」
ドイツ人は人生を考え、フランス人は人生を楽しむと言われています。
戦後いち早く日本に入ってきました 外来語を例にあげますと、"アルバイト"はドイツ語、"バカンス"はフランス語です。
ドイツ人は本当に人生を考えると言われますし、フランス人は楽しむために生きているといわれています。さて日本人はどうなんでしょうか?
人生にはいく通りもの価値観がいろいろあります。

1.出会いにも運命がある。
 現在私は子供の頃からの夢を実現し、多くの素晴らしい方々と出会い、毎日幸せな生活を送っております。
考えてみますと、小さい頃の夢といいますのは、海の側の南向きの白い家に住み、優しい夫と可愛い子供、そばには犬と猫が、楽しい友人たちに囲まれて絵を描いて過ごすことでした。
非常に具体的な夢見る夢子さんだったのですが、実際、多少の思い違いはありましても、なんとなく着実に夢に近づいてまいりました。
東京の美術界に入り、切磋琢磨するような美術家の友人も増え、日々精進の毎日です。

才能はどうなのかとは思いますが私には沢山のよい出会いがあり、絵を描き続けております。
私の身近にいた学生時代美術大学に進学した友人たちで未だ絵の世界にいる者は実は一人もおりません。
どのような理由があったかはいろいろですが、皆、主婦であったり、企業に勤めたりしています。私が未だ、絵を描いていることはとてもラッキーでした。いろんな出会いがあったことも、私が絵を続けている、理由の一つかもしれません。
私には素晴らしい絵の教授との出会いがありました。出会いには運命があります。良い出会いは才能を伸ばしてくれますが、そうでない出会いには挫折と諦め、才能は潰れていきます。

批評家との出会いにも運命があります。良い出会いは隠れた個性を育ててくれますが、そうでない出会いは伸びる個性まで潰してしまいます。繊細な才能ある友人たちは志半ばで諦めてしまったりということもありました。
私は常々、踊る阿呆と見る阿呆どちらを取るかと聞かれましたらまよわずに踊る阿呆を選んで来ました。発表すること、踊ってみて初めて発見したりおどろいたりすることもあります。言えることははじめなければ何も無いのです。発表してみなければ何もないのです。
 
正直にいいますと昔からあまり上手すぎる人は成功していないような気がします。
ただひたすらばかみたいに絵を描くことが好きな人が、絵描きとして残れるのかもしれません。
まあ、どんな世界も共通なのかもしれませんね。
 
絵を描くということ、・・・私には描けるものと描けないものがあります。どんな場合も描く人ガそこにあらわれるのです。怖いくらいに、その人の人間性、哲学感、宗教感までもみえてしまうのです。
自分の中にないものは表現できないのです。
心を打つもの、心地良いと感じたものしか描けません。
そんなときなぜ心を打たれるのか、どうしてこうなったの?どこが気になり、好きなのか、それをみつけた瞬間がとても好きなんです。
好きな人のいい所を具体的に感じたときの嬉しい感じですか。
この方向性は自由、個人の個性を大切にするデモクラシーの本質につながります。・

私にとって作品を作ること、イコール自分を知ることなのです。
絵画とは自分に対する問いかけ、完成されたものではないのです。答えはないのかもしれません。
自分が求めているもの、自分にない物を知り、再認識することもあります。自分の作品とコミュニケーションしているような不思議な世界です。
描くことにより自分を知る、過去からたくさんの芸術家たちがこの不思議な行為によりコミュニケーションしてきました。  その絵を見る人々が感動したりしてまたコミュニケーションし、   そして、現在の人が過去の絵をみてまたコミュニケーション、永遠に問いかけが続きます。
答え探しの旅がはじまります。交流(コミュニケーション)から出会いが生まれます。
出会いから新しい世界が始まります。

 過去は記憶の中、未来は想像の中、そして現在はその間の一瞬である。これは私の好きな言葉です。誰かが言っていました。

2.アトリエの泣き笑い
 次にどうして絵を描くかということですが、私は、くたくたになって具合の悪いときにこそ、絵を描きます。
なぜかというと、描かないことは、私にとって死んでいることと一緒だからです。
不安な時も、寂しい時もキャンパスに答えを求めます。そうすると不思議なことにすっと、心の中が静まっていくのです。
人が食事をして、お茶を飲んでTVを見ているときにアトリエにいるのです。孤独と思われるでしょうが、これが私のコミュニケーションのとりかたです。他のものでは癒されないのです。朝から夜までアトリエにいる、いつか訪れるであろう絵の神様があらわれるのをまっているのです。ギリシャ神話の中に出てくる美術(芸術)の神、ムーサの神と言う、画家の身体の中にムーサの神が降りてくると、傑作が生まれるそうですが、その神はすぐに去って行ってしまいます。私もいつもその瞬間を待っています
 時には自信を失うこともあります。アトリエの中に一人でいて、いくら描いてもダメな時はクシュンとしてベソを絵ではなくベソをかく時もあります。上手くいかなくて家中のお酒というお酒を飲みつくし、しまいにはみりんまで飲んでしまったこともあります。これはおいしくありませんでした。また電車の中でいろんな方をスケッチしていると、ある男性がなんで描いているんだと怒られてしまったこともありました。彼はスケッチブックを私から取り上げ、スケッチブックをみると、不思議なことに何も言わず立ち去りました。意外といい男に描いていたのが気に入ったようでした。本当は皺を描く時間がなかったのですが・・・
しかし良い絵が描けた時はヤッタ!と大声で笑うときもあります。もしその様子を誰かが見ていたとしたら、「普段からオカシイと思っていたが、やっぱりな」というでしょうね。
画家というのは慢性躁うつ病で、いろいろと泣き笑いの人生を送っています。
常に生活の中で自分に課題を出し、クリアー出来るまでしがみついています。結構必死です。
あまり煮詰まるといけませんので、一段落したら心も体も開放し、また次へのエネルギーとします。ゴルフなどはとてもいいです。
苦しいあとには必ず何かの光がみえます。

悩むこと
先日森田茂という日展の最高顧問がお亡くなりになりました。3月2日のことでした。
彼は一つの主題について、徹底的に探究して描いていきました。私はすぐれた画家というものは
何でも描けるなんでも描けなくてはいけない、と思いこんでいたことがありましたが、
私は彼の描いた絵をみたときに、一つの作品を完成させることが、レオナルドダビンチにも
匹敵することだと思いました。
人はパーフェクトでなくてもいいのです。自分らしさをそこに表現して、心を打つ一枚が描けることが素晴らしいことなんです。
上手い絵でなくて良いのです。伝わってくるものがあれば
中川勝正のもとにある有名な画家が訪ね、自分の絵を見せました。中川勝正は一言、それでどうしましたか?と。彼の言いたかったことは伝わって来るものが何もないということをいいたかったのです。対象をみて、美しいとか、力強いなど、感じられなかったようです。

先ほどもお話しましたように、失敗も数多くありました。
トーマスエジソンも言っていますが、99回の失敗することにより一回の成功があると。
その99回の失敗があるからこそ、どこがいけなかったのか何が問題なのか、次につながるのですから、
本当に失敗は成功の始まりといえるのです。決して、無駄ではありません。
ですから私が教えている生徒の中に最初線一本引けない人がいましたが、彼のやる気が見えていたのでまったく心配していませんでした。一本のまっすぐな線を引くということは本当に難しいのです。今でもまっすぐにはひけませんが、とても味のあるいい絵を描くのです。彼の人間性の出るような絵です。
私は小学生の頃、自分の好きなものをずっと好きでいられるかで、どれだけそれが本物か決めるのだという言葉を恩師に教えられたことを思い出します。昔も今も作ることが好きであり、そうであることを誇りにしています。
私たちは皆ダイヤモンドの原石なのです。ロシアでは芸術家のことを人間のダイヤモンドと呼んでくれます。諸外国では芸術家をとても大事にしてくれます。

自分らしくいることが私の宝物なのです。よく評論家や友人から私の絵はすぐにわかる、個性的な絵だと言われます。それは私が信州の厳しい自然と、環境の中で自然を愛し育ってきたこと、などが関係しているようです。
無意識のうちに自分の体のなかにあるものが、個性的な作品につながっているのかもしれません。

先ほどもお話しましたエジソンは小学校に入学し、算数の授業の時に、担任の先生が1+1=2.と教えていた時、「先生1+1=1です」と答えました。
その証明として、次の日、エジソンは粘土を持ってきて、だんごを二個つくり、両手に持つと、ほらと2個を合わせると一個の団子になりました。
その後エジソンは学校に行かなくなりましたが、父親は我が子の才能を見抜いて、何もいいませんでした。
先生は数学の次元を教えようとしましたが、エジソンは発想の次元、発見の実証の次元にいたのです。
世の中は計算通りにはいかないということも、実証したわけです。

3.土を作る、
その中で大変なことは常にモチーフを探し、感性を研ぎ澄まし、いつでもひらめきの瞬間に体を使って表現することの出来る準備をしていることです。
絵を描くためにいろんな事を勉強します。花の絵を描くにあたり、自分で育てた花を花瓶に生けて描きたいと思い、土作りから勉強しました。バーミキュライトに赤玉の小粒を何割いれてピートモスを何割などというような、各植物にあった土の配合、種の蒔き方、みずやりは朝、昼、夜、いつがいいか、花の名前にそして、フラワーアレンジメントに生け花、生け花では免許皆伝にいつの間にかなりました。そうしていくうちに花のことが大好きになり、かわいらしく、まるで天使に思えてきたのです。
私の世界も大きく広がりました。毎年春になると、我が家のバラを見にいろんな方が訪れます。お天気のいい日は毎日車椅子に乗ってやってくるかたもいました。虫や鳥もやってきます。
一つのことを追求すると、いろんな楽しい出会いが生まれます。

本題に入りますが土をつくる。なぜ私が土作りにこだわっているかをお話しします。
上農、中農、下農、というたとえがありますが、皆さん聞いたことがありますでしょうか?
上農とは良い土を作ります。中農とは稲を作ります。下農(げのう)とは世俗的には貧農ともいいますが、畑で雑草を作ります。
商売で言いますと、上商とは信用を作ること、中商とは利益を作ること、そして下商(げしょう)とは借金を作ることでしょうか?
これを聞いた時にまさに私のやってきたことは間違いではないと確信しました。
創作の王道は農耕思想にあると言っても良いと考えます。
芸術はインスタントラーメンのような、インスタント創作はありません。
とくに絵の世界はわずかな才能を大切に大切に小さな芽をいでるように育てていきます。
これは農耕思想です。これを私は"創作の王道と呼んでいます。


私の価値観をお話させていただきました。たぶんこれから一生何があっても私は絵と対峙していくことと思われます。少しずつ畑を耕すように制作活動していきたいとおもいます。







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